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あの日の記憶

3.11 東日本大震災から12年。

毎年、同じようなことを書き留めて
色々な気持ちを風化させないようにと
再確認をしようと思って書いてます。

七尾にとって福島県はサッカー人生の中で
分岐となるところでもあります。

Jヴィレッジ。
思い出のあるあの場所があんなことになるなんて...

あの日のあの時間。
七尾は四葉の大きな交差点、今はココスがあるところにいました。
赤塚体育館にトレーニングにいき、そこからビートルに向かう途中、信号待ちで止まってました。

大変なことになったのはその後。
学校の校庭には避難してる子供たちがたくさん。
先生たちもパニック状態。

サッカーどころではないです。

でもスマホなどもなく東北であんなにも大きな被害がでてることはまだまだ知りませんでした。

週があけて、学校にいき
当時の校長先生と副校長先生に話にいったのを覚えてます。

「変わらずサッカーをやらせてください。少しでも日常通りに過ごさせてあげたいのです。」

「何かあったときはすぐにやめてくださいね。」

今思うとすごくすごく寛大なお言葉でした。

しかしここで立ちはだかったのは七尾の母親でした。
「あんた!いい加減にしなさい!サッカーなんてやってる場合じゃないのよ!何考えてるの!」

親子喧嘩勃発です。
だけど強行突破でしたね(笑)

でも年月が経って、当時の色々な情報をみると
ホント、ギリギリの世の中だったのかなと。

今ある当たり前の環境に心から感謝しないとです。

福島の仲間ができて、話を聞く機会もあったり
自分の目で福島県に行ってみたり。
以前よりも濃く福島県とは繋がってるのかなと。

被災地 復興

こんな言葉はもう...
というメディアもありました。

でも七尾の福島の仲間の友人は まだ 見つかってないそうです。
なので まだまだ なんだと思います。

生まれ育った家にまだ帰れない人達も数えきれないほどいます。

だから伝え続けていかないといけないんだなと思ってます。

人に優しくすること
困ってる人に手を差し伸べること
助けられるより、助けること

どんな世の中になっても
きっと最後は人と人との繋がりだと思います。

サッカーがうまいだけではダメなんです。
サッカーじゃない部分を大切にしないと絶対にうまくいきません。

七尾もビートルの選手たちにできる限りのことは伝えていきたいと思ってます。

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