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今日のメッセージ

ジョージ・クラベルの世界

ジョージ・クラベルの世界

ワクワクしておりますかー?

自分の人生

自分らしく

自分のペースで

生きておられるところ

おはようございます♪
(佐助くんみたいですね!)



小林正観

幸せの遊歩道

より


ジョージ・クラベルの世界

●競わない、比べない、争わない

「『身長がニメートルの人』と、

『体重が一〇〇キロの人』と、

『足が三〇センチの人』では、

誰が一番『大きい』でしょうか」

という質問を、私はよくします。

正解は、

比べられない、答えられない、です。

全く違う基準のものを、比べたり、競争させたり、評価することは、もともと無理な話なのです。

これは子供の教育にも多分、当てはまることなのですが、数学が好きな子、体育が得意な子、あるいは裁縫が上手な子、など、

いろいろな個性があるでしょう。

そのような中で、何かに優れているからといって、その子供が、ほかのどんな子供よりも優れている、とは言えません。

それと同じように、人それぞれに皆、個性や持ち味があって、人と比べることはできないのです。

そのように考えると、自分が、隣の人やほかの人、一般的な社会の人に対して、あれこれと比べることには、意味がありません。

「ジョージ・クラベル」というのは、

漢字で考えるとよくわかるのですが、

「常時比べる」

ということです。

「常時比べる」の世界から離れること。

人間の幸せのひとつは、

自分をほかと比べないことです。

自分は自分。

ほかの人にはない優れたものを、

人間は必ず持っています。

それを、全体的な評価として、AさんとBさん、あるいは自分と誰かとを比べる、ということは、もともと意味のないことでしょう。

それでは、努力をしなくてもいいのか、自己研鑽を積まなくてもいいのか、という質問にもなるのですが、そうではありません。

実は、自分が理想とする人格や、努力の目標は、どんなに高く設定しても構わないのです。

さらに、その目標を前にして、自分がどれくらいの立場にいるのか(どれくらい到達しているのか)、ということについては、どんなに自分の位置を低く考えても構わないのです。

自分が理想とする人格や生き方、考え方に向かって、毎日努力し、自己研鑽を積む、ということは、自分の中の問題(自分との戦い)であって、他人と比べることではありません。

自分自身が、その頂点に向かって、どれほど登っていくか、ということです

(これを私は「ジコトザン・ノボリヴィッチ」II「自己登山登り道」と呼んでいます。

「ジョージ・クラベル」(常時比べる)の世界

からは、なるべく離れることが必要ですが、

逆に、「ジコトザン・ノボリヴィッチ」

(自己登山登り道)の世界には、

できるだけ近づき、その中で生きていく、

というのはどうでしょうか。





ジョージ・クラベル

よりも

ジコトザン・ノボリヴィッチ

人とクラベルのでなく

自分の山をノボリヴィッチしていきましょう♪


さあ面白くなってきたぞ〜!

自分の心は自分が決める😊

ワクワク😀

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