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今日のメッセージ

最初で最後の恋(偉人マインド11)

最初で最後の恋(偉人マインド11)

ワクワクしておりますかー?

ところで

今…あなたは

恋してますか?



誰でも恋はしているもの…


吉田先生の恋バナをどうぞ〜


ひすいこたろう

名言セラピー幕末スペシャルより





ありえないくらいピュアだった男、

吉田松陰。

松陰の恋の物語です。

150 年ほど前の日本は

ガチガチに身分が決められていて

「平等」

という発想を誰ももっていない時代でした。


しかし、松陰は違いました。

「志あれば、身分は一切関係ない」

と、松下村塾に集まってくる塾生たちの

身分を、問わなかった。

それは弟子・高杉晋作にも受け継がれ、

世界の歴史のなかでもめずらしい、

身分を問わない軍隊、

奇兵隊の誕生につながっていきます。

なぜ、

封建制度のど真ん中に生きていた松陰に、

平等という思いが生まれたのでしょうか?

その陰には、

吉田松陰、最初で最後となる

恋の物語がありました。

黒船でのアメリカ密航が失敗に終わり、

松陰は萩の野山獄に入れられることになります。

その刑務所に高須久子という女性がいた。

このとき松陰 25歳、久子37歳。

高須久子は

300石の高須家の跡取り娘でした。

養子に迎えた夫が早くに亡くなったこともあり、三味線などに興味を覚え、町の三味線弾きの人々をたびたび家に呼んで、演奏させていました。

しかし、封建時代の当時としてはこれはNG。

「武上が身分の異なる者と交際するとはけしからん」

と訴えられて、高須久子は獄に入れられていたのです。

裁判史料では、高須久子は町の三味線弾きの人々に対して、

「すべて平人同様の取り扱いをした」

とたびたび述べています。

「人はみな平等」

今は当たり前に思えるこのことも、

当時は反逆的な革命的な思想だったのです。

吉田松陰は、野山獄という牢獄で

「人はみな平等」

という高須久子と出会った。

吉田松陰の一生涯を貫くその精神は、

高須久子との出会いから

大きく育くまれたのです。

月日が流れ、ふたりに別れの日が来ます。

松陰は江戸へ呼び出されることになります。

江戸で松陰を待っているのは処刑です。

吉田松陰、高須久子、永遠の別れ。


その直前に、

萩の牢獄でふたりが交わした歌があります。

「手のとわぬ雲に樗の咲く日かな」高須久子

(あなたはついに、手の届かないところへ行ってしまうのですね)

そして、

久子はてぬぐいを松陰へプレゼントし、

松陰も歌で返す。

「箱根山越すとき汗の出やせん

君を思ひてふき清めてん」

吉田松陰

(江戸へ向かう箱根山。そのてぬぐいで汗をふきます。あなたを思って)

「一声をいかで忘れんべ」吉田松陰
(あなたの最後の一声をどうして忘れられようか…・・・・)

後に、高須久子の歌が刻まれた茶わんが見つかりました。

茶碗には松陰への想いがあふれ、

末尾に「久子六十九才」とありました。

松陰の死から27年後につくられた茶碗です。

久子は69歳になっても、松陰のことを忘れていなかった。

夜中、
黒船に小船で乗りこんでいった吉田松陰。

怖かったと思う。

言葉だって通じない。

船に上がるやピストルで銃殺されるかもし
れない。

でも、松陰は、やむにやまれぬ思いで乗りこんだ。

しかし、作戦は失敗し牢獄へ入れられた。

でも、そこで待っていたのは、

最初で最後の恋でした。

誰よりもピュアな男と、

誰よりも博愛主義な女。

ふたりは、牢獄で出会った。

というわけで・・・・・The Revolution ♪

勇気をもって一歩踏み出せ。

その先に待っているのは、運命の人です。

歴史に、もしはない。

でも、もし・・・・・

仮に松陰が黒船でアメリカへ行っていたとしたら、

松下村塾はなかった。

そして、高杉晋作は高杉晋作たりえなかったはずです。

結果はどうあれ、

勇気をもって一歩踏み出した道こそ、

正解だということです。

「一声をいかで忘れん郭公(ホトトギス)」

吉田松蔭

あなたの最後の一声を

どうして忘れられようかー





一歩…踏み出す…

そして

恋しましょ!


さあ面白くなってきたぞ〜!

自分の心は自分が決める😊

ワクワク😀

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