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今日のメッセージ

僕はどう生きればいいのか?(偉人マインド8)

僕はどう生きればいいのか?(偉人マインド8)

ワクワクしておりますかー?

どう…生きればいいのか

模索中のところ

おはようございます♪

ですよね…

どう生きていくか?

難しいし…

答えが出るようで出ない…

考えれば考えるほど…難しい問いです♪


ひすいこたろう

名言セラピー幕末スペシャルより



ひとり VS. 15万 2000 人!

僕はひとりでもやる!


そしてほんとうにやり遂げてしまった、

奇跡の革命児・高杉晋作。

しかし、彼もまた、

どう生きればいいのか

迷っていたときがあるのです。

その悩みを同志・久坂玄瑞へ告白した手紙がある。

意訳させてもらうと

「僕にはひとりの父がいます。
日夜僕を呼びつけては俗っぽいことをいう。

父のことゆえ、どうするわけにもいかない。

祖父もことあるごとに僕を呼び、

『大それたことをしてくれるな』

というものだから、

松下村塾に隠れて通っているほどです。

でも、親にそむく心にはなれないんです。

とはいえ、天下のことを想えば、

じっとしておれず、大いに心中苦しんでいます。

いたずらに議論ばかりして何ひとつ実行がともなわない自分に赤面の至りです」

晋作が松下村塾に通うのは、家には内緒だったわけです。

そんな晋作は、師である吉田松陰から

「見そこなった」

と絶交されてしまったこともありました。

尊敬していた師に絶交される。

このときの晋作の深い悲しみたるや……

高杉晋作だって、最初から

「風雲電の如く」

動けたわけではないのです。

彼もまた葛藤のなかを生きていた。

実は晋作だけではない。

松陰の門下生のひとり、入江九一もこんな手紙を書いています。

「私には老母がいます。兄弟のうち一人は母を看なければなりません。そこで兄弟のどちらが国のために死ぬかということで話しあいました(中略)。

母は一日として気の休まるときはなかったのです。

私たち兄弟がいながら、いまだに母の心を痛ませている」

松下村塾の門下生は、

親や親戚の反対に悩んだ者がたくさんいました。

それはそうです。

命がかかっているのですから。


高杉晋作の話に戻します。

思い悩む晋作は、

ある日、吉田松陰に問うています。

「僕はどう生きればいいのでしょうか?

死にはどんな意味があるのでしょう?」

いかに武士は死ぬべきなのか、

晋作は松陰にたずねた。


松蔭の返答、それはこうでした。

「それをどのように教えたらいいのか、

私にはわからない」

松陰だって、わからなかった。

その答えを、松陰も探し続けた。

でも、ついに、わかるときがきたのです。

牢のなかで死を目前に控えた松陰は、

「死の一字について発見するところがあった」

と高杉晋作に一通の手紙をわたします。

その一通の手紙が、

晋作を歴史の舞台に上げることになります。

「死は好むべきにも非ず、亦悪むべきにも非ず。道盡き心安んずる、
便ち是死所。世に身生きて、心死する者あり。身亡びて魂存する者あり。心死すれば生くるも益なし、魂存すれば亡ぶるも損なきなり(中略)死して不朽の見込あらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込あらばいつでも生くべし」
(吉田松陰安政六年七月中旬「高杉晋作あて書書翰)

これが吉田松陰、

死の3ヵ月前に至った境地です。

松陰のこの手紙が、

晋作の革命児へのスイッチを入れた。


志がなければ

生きていても死んでいるのと同じだろ?

生きるも死ぬも、

そんなことはどちらでもいい。

大切なのはその志をやり遂げることだと。

晋作は亡命の名人だといわれました。

今死んでは志を遂げられない。

そう思った場面では

とことん逃げたからです。

しかし、ここだという場面では、

命を見事に差し出した。

それが、元治元年 12月15日、功山寺。

いつか必ず来る人生最後の日。

人生最後の日に、

「あーおもしろかった」と笑って死ねるか。

そこから逆算して、

「では今日は何をすべきか」

と考えればいいのです。

というわけで・・・・The Revolution ♪

朝生まれ、夜死ぬ。

そのつもりで今日を生きるのです。

松陰の死後、ある人が吉田松陰の伝記を書きました。

しかし、高杉晋作はそれを破り捨てたといいます。

この程度のものを松陰先生の伝記にはできぬと。

では一番最初に発売された松陰の伝記は?

じつは、日本より11年も早く、イギリスで発売になっているのです。

書いたのは、ロバート・ルイス・スティーヴンソン。

『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』を書いた世界的な文豪です。

日本の大使、正木退蔵氏が、こんな日本人がいたんだと海外(スコットランドの首都エディンバラ)で話をしたら、たまたまそこにいたスティーヴンソンが松陰の人生に感動して
伝記を書いたのです。

人生が偶然、海外の文豪の手によって伝記にされる。

さすが我らの SYOIN > YOSHIDA です!





あなたはどう生きますか?

あなたな志はなんですか?

人生最後の日…

『あー面白かったー』



笑っていられるために

何をしますか?

さあ面白くなってきたぞ〜!

自分の心は自分が決める😊

ワクワク😀

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