日本が変わった日
(偉人マインド6)
ワクワクしておりますかー?
連日の偉人エピソードで
歴史に興味をお持ちのところ
おはようございます♪
10月27日のことを思い出してください♪
あの年の10月27日です!
ひすいこたろう
名言セラピー幕末スペシャルより
※.日本が変わった日、それは10月27日
日本の歴史が変わった日は、
安政6年(1859年)10月27日だと僕は思っています。
それは、吉田松陰の首が切られた日です。
高杉晋作や、松下村塾の教え子たちも、
松陰が死ぬまでは、実は覚悟を決めきれていなかった。
それはそうです。
命がかかっていますから。
吉田松陰は松下村塾で2年半教えたあと、また牢屋に入っています。
放っておくと、松陰は命がけでやんちゃしますから、また牢屋に入れられてしまうのですね。
そして、牢屋のなかで教え子たちのことを、
「なんで彼らは日本のために働いてくれないんだ」
と嘆くわけです。
松陰は牢屋のなかですから、動きたくても動けません。
ある日、松陰は、
「僕はもう飯を食わない。断食する」
っていい出した。
「これで死ぬなら僕に天命はない」って。
松陰にも、どうしようもなくなった時期があるんです。
やむにやまれぬ思いで断食をした。
そんな松陰に、お母さんから手紙が届きます。
「牢屋にいても、あなたが生きていると思うからこそ、私の生きる励みになっています。
だから断食でご飯を食べないなんていうことはもうやめてほしい。
どうか生きながらえてほしいと祈らずにはいられません。
この母のためにも、ご飯を食べてほしい。
もう何度も何度もお願いするばかりです」
この手紙に、松陰は号泣したといいます。
でも、やっぱり松陰は牢屋からは出られなかったんです。
そして、処刑が決まった。
処刑されることを知ったとき
吉田松陰が残した句があります。
「親思うこころにまさる親ごころ
けふのおとづれ何ときくらむ」
「自分が親を思う気持ちよりも、親はもっと自分を思ってくれているであろう。
今日の死刑の知らせ、お母さんはどう思うだろう」
そんな旬です。
そして、10月27日、正午少し前。
場所は伝馬町獄(現在の伝馬町十思公園)。
ここで、首を斬られた。
まったくとりみだすことなく、松陰は悠々として歩んできて、役人たちに「ご苦労さま」と声をかけ、堂々と落ち着きはらっていたそうです。
吉田松陰が残した辞世の句。
「身はたとひ
武蔵の野辺に初ちぬとも
留めおかまし大和魂」
(「留魂録」)
僕は今死んでいくが、
日本をよくしたいというこの志は、
この地に置いていく・・・・・・。
弟子たちは嘆き悲しみながら、誓いました。
松陰先生は、ほんとうに命がけで行動した。
「留めおかまし大和魂」
ということは、日本を僕らが変えるまでは、
松陰先生の魂は成仏しないってことだ。
ならば・やろう。
倒すぜ江戸幕府!
このとき、弟子たちのハートに火が付いた。
10月27日、
弟子・高杉晋作の覚悟が決まったのです。
というわけで・・・・The Revolution ♪
覚悟した瞬間に未来は変わる。
「お母さん、ただ今帰ってまいりました」
松陰は元気な笑顔で母にそういった。
近年、松陰のそんな明るい姿はまれで、
母は喜んで
「まあ、珍しい」
と声をかけようとしたそのときに、
夢から覚めたといいます。
それから20日あまりして、
松陰の死の知らせが届いた。
松陰の母が夢見たのは・・・・・・
息子のちょうど死刑の時刻であったといいます。
「お母さん、ただ今帰ってまいりました」
…
…
あなたは…いつ…変わりますか?
あなたは…いつ…スイッチ入れますか?
歴史から…偉人の方々から
学び…気づきを…頂き…
自分の人生を大切にしていきましょう♪
さあ面白くなってきたぞ〜!
自分の心は自分が決める😊
ワクワク😀
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