五蘊皆空
五蘊皆空…
ワクワクしておりますかー?
読書の秋ですから
昨日の続き…
(長いですよ)
小林正観著
楽しい人生を生きる宇宙法則
より
般若心経というお経の中に
「五蘊皆空」という言葉があります。
(ごうんかいくう)
五蘊とは「色」「受」「想」「行」「織」
の五つ
「色」とは肉体や物体が存在すること。
そのある人を
「素敵だ」と受けとめたのが「受」
「結婚したいと想ったのが「想」
申し込んだのが「行」
断られたという事実が残ったのが「識」
です。
ものごとを
受けとめる五つの段階を言います。
前述したように、コップの水の半分を「半分しかない」と思うのも自由。
「半分もあって嬉しい、楽しい、幸せ」と思うことも自由。
さらに「何者かが半分残していてくださって有り難い」と思うことも、自由。
しかし、その実態というのは、コップに半分の水が入っているという、何の性格付けもされていない事実が存在するだけです。
これをお釈迦さまは
「空」と言ったのではないでしょうか。
つまり、
暑い、寒い、嬉しい、楽しい、
あるいはつまらないなど、
そういうことさえも、
実はすべて自分が決めている
ということを、
お釈迦さまは伝えたかったのではないかと思います。
ものの見方道
すべての本質は空だ。
空とは性格付けのされていないこと。
良い、悪いなどの評価・論評・価値判断、
そういうものが入っていないものが、
すべて空というものではなかったのでしょうか。
お釈迦さまは論、律、経
(これを三部経といいます)
で膨大なる教えを残しました。
ただ、この三部経というのは、
お釈迦さまの死後七百年後に
弟子たちが集まって集大成したもので、
お釈迦さま自らは
何一つ文章を残していません。
どうも、お釈迦さまは
自分の教えを文章に書いて
後世に残したいとは
考えていなかったようです。
ただ、一つだけ
後世に残したいと思っていたお経が
あるらしい。
それが、
『般若心経』ではなかったのでしょうか。
一般論ではなく私の解釈ですが、
こういうことだったのではないでしょうか。
五蘊皆空、つまり「五蘊は皆空なり」。
私たちが「楽しい」とか「つまらない」
と言っているその現象とは、
楽しい現象やつまらない現象が
独自に独立して存在するわけではなく、
淡々とした、何の性格もない
空である現象が続いている。
それを私たちは
「楽しい」とか「つまらない」などの性格を
付けて見、判断し、評価し、論評している。
それにすぎない
ということを言いたかったのではないでしょうか。
もし、このことが本当に理解できた人は、
その瞬間から
悩み・苦しみ・苦悩・感悩から離れる
(解脱する)
ことができるのです。
仮に、ある人にペンを渡したとします。
これは重いでしょうか、軽いでしょうか。
重さは約20グラム。
重いと思う人もいるでしょう。
病み上がりの人には20グラムでさえ、
大変重く感じられるに違いありません。
ウエイトリフティングの訓練をしてきた人にとっては、
20グラムなどいう重さは物の数ではありません。
軽いということでしょう。
人によって全部違うのです。
重いか軽いかということで、私たちはものを判断してしまう。
しかし、そこに存在している事実というのは、20グラムの重さを持っているということだけです。
人によって重いか軽いかは違う。
蟻に20グラムのペンを担がせることは大変なことです。
蟻にとっては大変に重い物なのです。
お釈迦さまは、四諦という点からも
「人間が解脱することができ、幸せというものに到達することができる」
ということを後世に伝えました。
しかし、お釈迦さまが
「幸せ」に
到達できる方法論を発見したのは、
どうも四諦だけではなく、
この五蘊皆空という点でもそうであったように思います。
「幸せ」に至る
たくさんのルートを
お釈迦さまは見つけたのではなかったか。
一つではなく、たくさんの道を
発見したような気がします。
その一つが四諦であり、
その一つが五蘊皆空であった。
そういうふうに考えると、
五蘊皆空も
大変重要な悟りの言葉ということになります。
…
…
ものごとを決める五段階
(受け止める)
五蘊…
決めたものは…空…
価値も意味も…自分が決めているだけ…
自分次第です♪
今…苦しいと思っていることさえ
(嬉しい…楽しい…悲しい)
ただ…自分が決めているだけ…
自分次第です♪
さあ面白くなってきたぞ〜
自分の心は自分が決める😊
ワクワク😀