本当の幸せ
本当の幸せ…
ワクワクしておりますかー?
今日も幸せのために
一生懸命に生きておられるところ
おはようございます😃
幸せって何でしょう?
本当の幸せって何でしょう?
『頭のゴミ』を捨てれば、
脳は一瞬で目覚める!
苫米地 英人著 より
おいしいものを食べることは幸せじゃない?
あなたにとっての「幸せ」を手がかりに考えてみましょう。
あなたは何をしているときに「幸せだなあ」と感じますか?
一つ答えを用意してください。
答えは人によってさまざまでしょう。
「食べ歩きが趣味で、おいしいものを食べているときに『幸せ!』って感じます」
「ジョギングにはまっていまして、夜、会社から帰って、公園を走っているときに『気持ちいいなあ、幸せだなあ』と思います」
「社会人になってからボクシングを始めました。スパーリングでいいパンチが決まった日は、『続けてよかったなあ、幸せだなあ』と思います」
この三つの「幸せ」を、
本当に「幸せ」と呼んでいいのでしょうか。
私はそうは思いません。
理由は大きく二つあります。
まず、「おいしいものを食べて満腹になる」
や「体を動かして気持ちがいい」というのは、
ステップ1で説明したとおり、
脳でいうと大脳辺縁系の扁桃体の情報処理です。
サルやゴリラと変わりません。
自分だけの幸せはありえない
食べ歩きが趣味で、おいしいものを食べているときに幸せを感じるという人が、「ほかの人たちにもいいお店を知ってもらって、この幸せを感じてほしい」と考え、ブログでおすすめの店の情報提供を始めたとします。
そして、ブログを読んでおすすめの店に行った人から「ほんとにおいしかった!」というコメントが来て、嬉しいと感じる。
これは「ゴリラの幸せから、人間の幸せに近づいた」ことだと私は考えます。
なぜなら、この人は、見知らぬ他人にも幸せを感じてもらいたいと思って、手間をかけてブログを書いた。
そして他人がおいしいものを食べて喜んだことが、自分の喜びになっているからです。
この幸せは、もう自分だけのことではありません。
他人が入っています。
そして、他人が入ったことによって、この人はこれまでに味わったことのない幸せを感じたはずです。
「ジョギングが趣味で、走っているときが幸せ」
「ボクシングのスパーリングでいいパンチが決まったときが幸せ」
という人たちならば、
「自分はもうすぐ60歳だが、今後もマラソン大会に出続けて、同年代の人たちに元気を与えるランナーになる」
「ボクシングの試合に出て、観衆に勇気を与えられるような戦いを見せる」ということに幸せを感じるならば、
それはゴリラの幸せから、人間の幸せに近づいています。
それはもう自分だけの幸せではないからですす。
他人に元気や勇気を与えるということが、
その人の幸せになっているからです。
もう一度言います。
自分以外の人も一緒に幸せになってこそ、
人間の幸せである、
それが本当の幸福ではないでしょうか。
先ほど「優越感と幸福感は違う」と言いました。
「優越感」では、快感を得るのは自分だけだからです。
その気持ちよさに自分以外の人は入っていません。
また、「自分だけの幸せ」という言葉の組み合わせは矛盾していると言いました。
どこが矛盾しているのか、もうお分かりですね。
人間の幸せとは、必ず自分以外の人が含まれているもの。
だから「自分だけの幸せ」というものはありえないのです。
人間の幸せとは、
「みんなが幸せだから、自分も幸せ」
と感じるもの。
私はそう考えています。
…
…
自分だけが感じる幸せ…
から
自分と周りの人(知らない人)にも
幸せを感じること…
チャレンジしてみませんか?
あなたの本当の幸せは何ですか?
さあ面白くなってきたぞ〜!
自分の心は自分が決める😊
ワクワク😀