龍馬、最後の夜(偉人マインド10)
龍馬、最後の夜(偉人マインド10)
ワクワクしておりますかー?
今日でゴールデンウィークも終わり
ということで
少し元気がないところ
おはようございます😃
ひすいこたろう
名言セラピー幕末スペシャルより
坂本龍馬、人生最後の夜。
それが山川健一著の「幕末武士道、若きサムライ達』に、判明している正確な事情をもとに、このように描写されています。
慶応3年(1867年)11月15日夜9時過ぎのことです。
京都・江屋の2階の8畳間の一室で
風邪気味だった坂本龍馬は、
同志の中岡慎太郎と話していました。
龍馬は真綿の胴着をつけ、
その上に舶来品である絹の綿入れを着込み、
さらに黒球二重の羽織をつけて
火鉢にあたっていました。
そこに
「十津川の者だが、坂本先生に勧意を得たい」
と訪ねてきた者がいた。
使いの藤吉が名刺を取り次いで階段をのぼる。
帰ってきた藤吉は、突然斬りつけられ、
倒れました。
そのとき2階にいた龍馬は、
藤吉がたおれこんだ音を、
店の前で若者が戯れてるものと思い、
「ホタエナ」
とひと言叱責したといいます。
「ホタエナ」は、「静かにしろ」の意味です。
その直後です!
突然、
龍馬たちのいる部屋に
7人の刺客が押し入り、
中岡慎太郎の後頭部を斬った。
もうひとりが、龍馬の額を横に払った。
床の間に置いてあった刀を取ろうと
振り返ったとき、
龍馬は右の肩先から左の背骨にかけて
大袈裟に斬られる。
それでも龍馬は刀をとって立ち上がり、
刀を抜く暇がなかったので
三の太刀を鞘のまま受けた。
この部屋の天井は斜めになっており
低いので、龍馬の刀の鞘の末端が
天井を突き破った。
刺客の刀は龍馬の刀の鞘を削り、
流れて、龍馬の額を斬った。
最初の太刀によって、
龍馬は脳漿(のうしょう)が
白く噴き出すほどの深い傷を負っていた。
堪えきれずに、
「石川、刀はないか。石川、刀はないか」
と叫びながら倒れた。
(石川とは、中岡慎太郎の変名)
慎太郎の刀は、屏風の後ろにあったが、
それを取ることができず、
短刀をもって立ち上がったが抜く暇がなく、
斬りつけられた。
剣客が立ち去った後、龍馬は正気に戻り、
刀を抜いて燈火の前ににじりより、
「残念、残念」と言った。
さらに慎太郎を振り返り、
「慎太、慎太、どうした、手が利くか」
と聞いた。
「手は利く」と慎太郎は答えた。
龍馬は次の六畳間へ行き、
手すりのところから、
「新助、医者を呼べ」と声を出した。
「慎太、僕は脳をやられた。もうだめだ」
とかすかな声でいって倒れ、
龍馬は息絶えた・・・・・・。
これが坂本龍馬、人生最後の一日です。
中岡慎太郎はこの2日後に亡くなりました。
「土佐藩坂本龍馬伝」には
龍馬の体には刀傷が大小 38ヵ所、
慎太郎には 28ヵ所
残されていたと記されています。
注目してほしいのは、
脳漿が白く噴き出し
自分自身がまさに
息絶えようとしているときに、
龍馬が
同志の慎太郎の身を案じていた点です。
どうすれば日本を変えられるのか?
それがわからず、それを知りたくて、
龍馬が脱藩したのは28歳のとき。
そして
33歳の誕生日11月15日に
龍馬は亡くなりました。
28歳、坂本龍馬は、
まだ
何をすればいいかわからない状態でした。
でもそこからスタートして
5年で日本を変えた。
5年で、人は、
まったく
別人のように成長できるってことです
龍馬の死後、
妻のお龍さんが詠んだ歌があります。
「武士のかばねはこ~に桜山花は散れども名こそ止むれ」(反魂香)
龍馬は死んでもこの桜山のように、
花は散ってもその名は永遠に消えない-
というわけで・・・・The Revolution ♪
5年で日本を変えることだってできる!
龍馬のお墓のある
京都霊山護国神社の龍馬の墓には、
お龍さんの遺骨も一部納められています。
今はずっとずっとずっと一緒です。
…
…
日本を変える!
何かを変える!
とは
言わなくても
自分を変えることはできそうです♪
自分を変えてから…5年後…
どうなってるか…
楽しみですね!
さあ面白くなってきたぞ〜!
自分の心は自分が決める😊
ワクワク😀