昨日分です!5月1日(偉人マインド5)
昨日分が…届いてませんでした…
再送します!
(ご指摘ありがとうございました😭)
71歳の地図(偉人マインド5)
ワクワクしておりますかー?
今日から5月
4月に立てた…目標はおろか
1月に立てた…志も
お忘れのところ
おはようございます♪
ところで
あなたが71歳になったら
どんなことを成し遂げていますか?
ひすいこたろう
名言セラピー幕末スペシャルより
71歳の地図
この話を知ったら、
涙なしには地図を見られなくなります。
さて、
あなたは伊能忠敬をご存じでしょうか?
タダタカ。
名前の母音がすべて「a」の人です。
そんなどうでもいい説明はいいとして(笑)、
車も自転車もない江戸時代に、
ウォーキングだけで
日本最初の地図をつくった人です。
そんなタダタカは、子供の頃から、宇宙に想いをはせることが好きでした。
天体の勉強をしてみたいと思ってみたものの、当時は夢に生きられるような時代ではありません。
ですからタダタカは、夢のことは脇に置き、
酒屋の仕事に精を出しました。
そして50歳を迎えるのですが、
なんとタダタカは、50歳になってから、
天体観測の仕事にチャレンジを始めたのです!
夢をあきらめたわけではなかったのです
働きながら、天体観測に打ちこめるための
資金や態勢を準備していました。
人生50年といわれた時代に、
50歳から子どものころの夢に向かって
挑戦するって、すごくありませんか?
平成21年の日本人の平均寿命は男性 79歳でしたから、今でいうならば、79歳で、F1レーサーに挑戦するようなものです(笑)
タダタカは、
数学、そして天文学を勉強するために、
50歳を超えてから江戸へでました。
浅草にでたタダタカは、
当時の天文学の第一人者・高橋至時に弟子入り。
このとき、師匠の高橋32歳、タダタカ 51歳。
19歳も年下の人物に頭を下げたのです。
そもそもタダタカは地球の大きさを知りたかった。
そこで、北極星の位置と見上げる角度から計算して、江戸から蝦夷地(北海道)まで測れば、その大きさを割り出せると考えた。
そして、「地図をつくる」との名目で江戸幕府の許可のもと、昼は海岸をウォーキングで測量し、
夜は天体観測を続けました。
こうしてタダタカはなんと 16年間にもわたって、全国の海岸線をわらじ履きで歩きまわって測量し、日本最初の地図を完成させたのです。
総歩行距離4万km。
地球一周と同じ距離です。
測量を終えたとき、タダタカはなんと71歳でした。
当時では、もう来世といっていいお年頃(笑)
驚くべきはタダタカの地図の精密さです。
たとえば、
日本の本州の最も広い所、
能登半島北端と静岡県御前崎の南端を
縮尺一万分の1の地図で現在の地図と比較してみると、
誤差はわずか 0.16mm。
タダタカは完璧に同じ歩幅で、
正確に歩く訓練をしていたのです。
しかも
タダタカがつくったこの地図が日本を救った!
1853年、4隻の黒船で浦賀にやってきたペリー。
日本に開国を迫る以外にもミッションがありました。
それが日本列島の測量でした
江戸の町を砲撃することを考えてのことです
しかし、測量をするうちにペリーは驚きます
地形が地図どおりなのです。
ペリーは日本の地図は、
たんなる見取り図としか認識していませんでした。
しかし、あまりに精密な地図から、
日本は恐るべき技術をもつ国だと認識し、
ペリーは琉球に引き上げていったのです。
タダタカ・ウォーキングが日本を救ったのです!
測量中、高齢のタダタカが娘に出した手紙には
「歯はほとんど抜け落ち、一本になってしまった。もう、奈良漬も食べることができない」
と書かれていました。
途中、タダタカが頼りにしていた測量隊の副隊長が、チフスで亡くなってしまうという悲しみも乗り越えました。
50歳になってから
夢にチャレンジしたタダタカは
71歳でやり遂げたのです。
タダタカの墓地の側面には、
こんな文が彫られています。
「忠敬は星や暦を好み、測量にはいつも喜びを顔に浮かべて出かけて行った」
さあ、私たちも、喜びの顔を浮かべて出かけよう。
というわけで・・・・The Revolution ♪
夢に生きるとは、
小さな一歩を踏み出し続けること。
「止」まるのが「少」ないと書いて「歩く」。
走らなくていい。
奇跡は歩いて起こせるのです。
…
…
タダタカさんに想いを馳せながら
日本地図を見てみましょう。
力が湧いてくるはずです♪
小さな一歩を踏み出す勇気が湧いてくるでしょう!
さあ面白くなってきたぞ〜!
自分の心は自分が決める😊
ワクワク😀